「d:matcha kyoto」は、2016年に創業以来、日本一の宇治茶の産地、京都府和束町でお茶の栽培から加工、カフェ運営までを自社で行なっています。
海外展開やインバウンドビジネスに力を入れており、2019年2月現在、フィリピン、セブ島にFC店があります。今後は東京に店舗を拡大するなど、大きな転換期を迎えています。
新たな成長ステージに入ったD-matcha株式会社で、我々と一緒に、京都・和束町産の本物の宇治茶を世界に広めて行く仲間を募集します。
今回、求人募集に伴い、創業から現在に至るまでのストーリーをスタッフの芝山がd:matcha チームにインタビューしました。これから求人募集シリーズを数回に渡りお送りしていきます。
”日本茶”を世界の”NIHONCHA”へ
まずはD-matcha株式会社代表の田中大貴さんに、会社設立から現在に至るまでを伺いしました。東京都いう大都会で生まれ育った大貴さん。高校時代に読んだある1冊の本をきっかけに、日本の自給率の低さに衝撃を受け、「いつか農業で商売をしていきたい」と思っていたそう。少年時代に抱いた夢を実現すべく、2005年に京都大学農学部へ進学。卒業後は、コンサルティングファームBooz Allen Hamilton東京オフィスに勤務。最年少最短でシニアコンサルタントに昇進します。ECホールデングスの取締役を経て、2012年には、(当時26歳)(株)Doughnut Plant Tokyoの代表取締役社長として経営再建を担い、3期で黒字化を達成。様々なキャリアを積み、2015年にはアメリカのBabson CollegeでMBAを取得しました。
大貴さんはキャリアを重ねる中で、”日本茶”で商売をしていくことを考えます。
大貴さん:ドーナッツ会社で社長をしていた時、いい材料を使わないと美味しいものは作れないということを感じでいました。アメリカの小麦や砂糖を購入し、日本人に売る。という流れよりも、どうせつくるんだったら体に良くて日本で作ることができるものを売りたいと思うようになりました。
大貴さんが、小さい頃からお茶が好きだということ。お茶は体にいいということが科学的にも証明されており、世界中が抹茶ブームであること。それに伴いお茶の需要が伸びている現実。また、茶農家の高齢化の問題も踏まえ、大貴さんは自身が茶農家として栽培した日本茶を加工し、販売するまでの過程を自社で行う構想を考えます。
これは2015年の冬、大貴さんが29歳の時のことでした。やると決めた大貴さんは早速準備に取り掛かります。
大貴さん:まず、声をかけたのは、6歳下の弟の千盛と千盛の親友だった阿嘉君。当時2人は琉球大学の農学部に在籍。将来は2人で独立したいと考えていた二人に一緒に日本茶を栽培して販売していこうと提案しました。2人はすぐに賛同してくれて、その後、自分たちが思い描く日本茶を栽培するのに適した産地を歩き回りました。大学生だった2人も休みを利用して、何度も農家さんに話を聞きに行ってくれました。そこで、注目した地域が、和束町。京都市からも2時間かからず、京都滞在の観光客も日帰りで立ち寄りやすい。そして、何よりも景観が最高に美しい。役所の方々に移住について相談しても快く受け入れてくれる体制も決め手になりました。
千盛さんは、琉球大学に在籍中に1年間休学して、農業大国オランダで農業を勉強します。阿嘉さんは、大学を卒業後、沖縄のキャベツ農家で農家としての基礎を学びます。そして、2人は大貴さんがボストンでMBAを取得中に和束町の茶農家さんに弟子入りし、1年半修行に勤めます。
千盛さん:小さい頃から植物を育てることが好きだったから、大学の進路を考えるときも自然に農学部の道を進みました。オランダは農業先進国なので、そこで経験したこと、学んだことは今でも役に立っていますね。農業って大変な職業だから離れていく人が多いけど、それって勿体無いんですよ。日本でしか栽培できない食物もあるのに。そんな農業のイメージを変えていきたいと思っています。
阿嘉さん:昔から農業は私にとって身近なものだったんです。高校時代から自分で食物を栽培して、育てたものを食べていました。食物が成長していく過程がとても面白くて、大学では専門的に学ぶために農学部へ進みました。大学も農業サークルに所属していたので、食物を育てることだけではなく、商売にも興味が湧いて、卒業後はより実践的に学ぶために、沖縄のキャベツ農家さんで修行しました。
2人は大貴さんがアメリカでMBAを取得中に先に和束町に移住し、茶農家さんに弟子入りして、茶の栽培を基礎から学びます。
阿嘉さん:土地に馴染むためには時間がかかるんです。だから、私たちが先に和束に移住して、農家さんとの距離を近くして、自分たちでやっていくための農家の土台を作りました。
それぞれが、各分野の知識と技術を身につけた後、大貴さんは、2016年にD-matcha株式会社を設立。その年の春には全員が和束町に移住しました。
”d:matcha kyoto cafe & kitchen ”が和束町にOPEN!
2017年4月にカフェをオープンして以来、何があったか覚えていないくらい目まぐるしい日々だったと語るのは、大貴さんといつも二人三脚で走ってきた、奥様の美里さん。大貴さんとは大学の同級生で、ともに京都大学農学部で農業を学んでいます。大学卒業後は銀行員として企業の融資営業を担当。転職先の(株)すかいらーくでは、社長室での予算管理など、会社経営に必要なさまざなキャリアを積みます。退職後は大貴さんの留学先ボストンへともに渡ります。大貴さんが会社を設立した後は、先に日本に帰国し、会社運営に必要な事務作業を一人でこなしました。
美里さん:銀行員時代には、融資担当だから見える経営側の知識を身につけました。それが今に生きていますね。(株)すかいらーくでは、食のビジネスに必要なことを学びました。共にアメリカへ渡ったことで、いろんな視野が広がりました。カフェがオープンしてからは、嵐のように過ぎていった2年間でした。ハプニングがあっても、自分たちで解決していかなければならない。何かが起こる度に話合って一つ一つ向上していきました。新しいアイデアを思いついても大企業みたいに提案して誰かがやってくれるわけではありません。思いや考えを自ら形にしないと。でもそれがとても楽しいんです。お客様との距離も近くて信頼関係がつくれますね。
店舗をオープンすると、瞬く間に毎日やらなければいけないことで溢れていきます。そんな中でも常に変化、向上を求めてきたスタッフ。新しいメニューの開発はもちろん、海外からのインターンシップの受け入れ、茶摘みハイキングツアーの始動、通販サイトでの販売もスタートさせていきます。店舗スタッフだけでは対応できないときは、農家組の千盛さんや阿嘉さんもスタッフとして店舗に立つなど、臨機応変に対応してきました。失敗や経験を経て、少しずつ現在のスタイルが確立していきます。
実は、今の店舗は、昔は町のスーパーだったそう。その改装作業から始まったd:matcha kyoto cafe & kitchen。長年使われていなかったスーパーは、ネズミの住処。糞の始末から、床の張り替え、トイレの設置、サイクリストのための駐輪場の設置などお客様がどうしたら気持ちよく過ごしていただけるか、創意工夫を凝らし、今ではスーパーだったことが想像つかないほど見事に生まれ変わらせています。
店のドアを開けた瞬間、真っ先に目に入って来るもの。外観からは白い壁かと思っていたその姿は、実は白いダンボールを積み重ねてできたもの。まさにこのダンボールの壁は会社の創業から現在まで積み重ねて来たスタッフのアイディアや夢、努力の層を表しているかのようです。そしてその熱き情熱とアイディアでしっかりと確立したd:matcha kyoto cafe & kitchenは、現在、和束町の地域の皆さんからも愛される空間になっているのです。
世界の”NIHONCHA”にするために、ブランドを確立させる。
2019年4月には、店舗がオープンして3年目に入ります。これからのd:matchaはどのような方向性を目指していくのか、大貴さんが見据えるd:mathcaの未来を語ってくれました。
大貴さん:和束町は800年の歴史を持つ伝統あるお茶の産地です。ただ、茶農家の後継者が減っているためにどんどん茶畑は減少していっているのが現実です。今は、ペットボトルのお茶も、粉末の簡易的なお茶も、茶農家さんが丁寧に作るお茶も同じお茶として価値はひとくくりにされています。
私の理想は、フランスワインのように、産地や農家さんでワインの地位が高くなっていくような、しっかりとした農家さんの、いいお茶の値段を適正な価格で販売していくことです。抹茶に関しても、最近では海外のスーパーや茶販売店などで見かけますが、店によっては現地の人の味覚に合っていないものや、品質が日本の商品と比べて悪いもの、産地表示が不適切であるのもが存在しています。日本と全く同じように販売しても受け入れてはもらえません。その国の方が求める質、価格帯があります。現地のお客様が求める日本茶をしっかりと提供することで、日本茶のブランドの価値をつくっていきたいです。
現在、d:matchaでは、様々な角度から日本茶に興味を持ってもらうために、年中茶摘みができるd:matchaオリジナルのハイキングツアーや煎茶、抹茶の飲み比べ体験、工場ツアー、まだ計画中ですが、和束町での宿泊施設建設も考えています。実際に、ハイキングツアーや飲み比べをした後に、お客様から「取引をしたい。」とお話を頂くこともあります。窓口は広く用意しているので、これらをきっかけにお茶に興味を持ってくれる人が一人でも増えて、日本茶の文化を継承するきっかけになれたらいいです。
あとは、茶農家として、和束町の美しい景観を守っていくことにも使命感を感じています。茶農家の後継者が減少している影響で年々茶畑が縮小しています。そのまま放置してしまうと畑が荒れていってしまうんです。この景観は本当に日本の宝なので、私たち若い世代で大切に守っていきたいです。
自主性があって、思いを形にできる人!
ここからは大貴さんと美里さんに、新しく入社する方にお願いしたい仕事と、D-matcha株式会社で働く魅力についてお伺いします。
大貴さん:お茶が好きな人。好きでないと辛いですから。あとは、会社がまだできて間もないので、これから一緒に会社を良くしたいと思っている人に来てもらいたいです。受け身な姿勢だと、会社も個人も成長しませんから、前向きで自主的に活動できる人がいいですね。畑、製造、販売、海外への輸出など、どこの分野でも募集しているのですが、特に必要なのが販売部門。カフェスタッフとして和束茶の魅力をお客様に直接お伝えできる仕事です。なので、常にお客様目線でいろんなことを提案してほしいです。閑散期になると、京都市や奈良、神戸の催事にも出向いてもらいます。そこでは販売力がグッと向上しますよ。もし、和束町に移住することを懸念されていれば、相談してくだい。住み込みや移住者用の家も探します。柔軟な働き方を一緒に考えていきましょう。
美里さん:夢を描いたり、やりたいことを思うことは誰でもできます。その思いをしっかりと目に見える形にしてくれる人に来てもらいたいです。少ない人数でやっている会社なので、やりたいことは自分でやらなければなりません。それがいつしか自分にしかできないことになり、自分の居場所が作れます。私はそれが、ベンチャー企業の魅力だと思っていますし、楽しいところです。あとは、社長も言うように、お茶が好きで、自主的に行動できる方ですね。
お店がオープンして1年半経ったころ、2018年の10月からは2人のスタッフが正社員として働いています。2人の働き方。和束町に来たきっかけを紹介していきます。
1杯の煎茶が人生を変える
d:matchaで初めての正社員となった芝山(この記事を書いています)。「和束町になんでこんなに外国人が来るの?」「お茶って楽しむためのものだったの!?」とお茶の価値観と人生が一変した一日。
芝山:私は、最初はお客さんだったんです。城陽市(和束町から車で30分)に住んでいるんですが、新茶の時期に和束町のチラシが入っていて、家族が京都に遊びに来ると言うのでd:matchaの茶畑ハイキング、煎茶・抹茶飲み比べツアーに参加しました。岐阜県育ちの私は、茶畑が身近になかったので、初めて和束町の茶畑を見たときは感動しました。そのとき一緒にツアーに参加していた外国人の方々がいて、日本茶に興味を持っていたのには驚きました。日本人の私が知らないなんて、恥ずかしかったですし、その時まではお茶は喉を潤すものと思っていたので、「お茶はお茶を楽しむためにある!?」と聞いて自分の中で日本茶文化を知りたい欲求が高鳴りました。だって和束町のお茶は本当に美味しいんです。ハイキングの途中で水出し煎茶を頂いたのですが、その味は今でも忘れません。「このお茶を自分でも淹れたい。」という思いと「この和束町に外国人がたくさん来る秘密を知りたい。」と思って、その場で社長に「働きたい!」と言いました。そのあとすぐに雇って頂けて、初めは週1のアルバイトとして勤務してたのが、だんだん日数が増えていき、3ヶ月後には正社員として勤務しています。
煎茶という言葉でさえ聞き慣れなかった芝山は、店舗スタッフとして1からお茶について勉強します。
芝山:d:matchaでは、新人でも向上心と度胸があれば色んなことに挑戦させてもらえます。私も初めは煎茶の淹れ方、ましてや抹茶の立て方など知りませんでした。出勤するたびにお茶についての基本を一つずつ教えて頂きました。店舗スタッフの仕事は、農家組が心を込めて栽培したお茶をお客様に正しい知識と生産者の思いを乗せてご提供することです。テイスティングツアーも行いますので、お客様の反応を直接見ることができるのは楽しいですよ。みなさん同じ反応ではないですし、説明するたびに私自身も日本茶についての知識が増えていきました。
和束町に魅了されたアメリカ人スタッフ
2018年10月下旬。ボストンから和束町に移住したジョハンナ。大学生時代に名古屋の大学に留学した時に日本語から歴史、文化について学んで以来、「とても日本に興味を持っていた。」と話してくれました。大貴さんの留学先の学校で広報の仕事をしていたジョハンナは、大貴さんが帰国後、2回和束町を訪問します。大貴さんの熱い思いや、和束町の歴史や景観に心を打たれ、ついに和束町に移住することを決断します。得意のコミュニケーション能力を活かして、海外事業部として海外の取引先とのやりとりを担当しています。時には店舗スタッフとして接客業務をしています。
和束町での暮らしに戸惑いはあった?と聞くと、「全然そんなことなかったの!」と明るく話すジョハンナ。
ジョハンナ:和束町の景色がとにかく大好き!!私はボストンの自然の中で育ったので、和束町の日々変わりゆく自然の景色が故郷に似ていて落ち着きます。人も温かくて、今は、大貴さんが探してくれたシェアハウスに住んでいます。同じ時期に移住して来た日本人の女性がいて、英語も話せる方で食洗機や給湯器の使い方や日本の習慣・文化を教えてくれて、生活に困ることはありません。近所の方も本当に親切にしてくれて、外国人の私が和束町に住むこともとても歓迎してくれています。
ジョハンナはd:matcha唯一の外国人スタッフ。店舗ではパンの販売もしているのですが、パンの製造担当でもあります。日本人では気づかない視点で、店舗の空間づくりをしてれます。また、ツアーに参加してくださる外国人のお客様の対応も彼女の大切な役目です。
ジョハンナ:海外から来る方には、日本茶に興味を持っている方がたくさんいらっしゃいます。あるお客様と話していた時に、「他の日本茶専門店に入っても何を買っていいかわからない。表記は全て日本語、英語を話せるスタッフも少ないので、たぶんいいお茶なんだけど、せっかく買うなら試飲はしたい。店員さんから話を聞いた上でしっかりと買いたいので、残念だけどいつも結局何も買わずに店を出てしまう。」と話されていたの。せっかく日本に来たのにがっかりさせてしまいたくない。だから、私はアメリカ人の立場で、海外から来るお客様がこの店はとってもウェルカムだなって思ってもらえるような空間づくりやお客様の求めている情報を正しく提供できるようになりたいと思っています。
2人のスタッフに共通していることは「日本茶に魅了されたこと。」「和束町が好きなこと。」そして「楽しんで働いていること。」以前は全く別の職業だった二人も魅力的な土地と人々に惹きつけられて、ここd:matchaにやって来ました。初めは何もわからなかった二人でしたが、今では、お客様へ商品のご説明やご提供もできるようになっています。ただ、お茶の知識に関してはまだまだ勉強が必要です。
すぐには理解できないからこそ面白い”日本茶”。失敗しても次に活かすためにはどうしたらいいか話し合えるスタッフの距離感。そして、やりたいことはなんでもチャレンジさせてもらえる環境がd:matchaにはあります。
今は、日本茶の知識がなくても、興味があれば大丈夫です。一緒に日本茶文化を伝えていきたいという気持ちが少しでもあるのなら、勇気を出して、D-matcha株式会社でチャレンジしてみませんか?
ご興味のある方はinfo@dmatcha.comまでご連絡ください。